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二人のユウ〜You
D・RAIN/文


  その少女を初めて見たのは、夜の海だった。

  星々に満たされた夜空、澄み渡った空気が幾光年の時を経て届いた光を投げかける。

  冬。

  冷気が漂い、凍りつくような風が頬を撫でる中。

  一人の少年と、少女は出会った。

  

 

  最初は、死体かと思った。

  不謹慎な想像だが、それも無理はない事だろう。何せ今は十二月も半ばを過ぎた冬の最

 中だ、その行動をするにはあまりに時期はずれに思えた。

  試しに身をかがめ、足下に手をやる、僅かに触れただけで、波紋が広がる。

 「やっぱ、冷たいよな……」

  当然の事を確認して、困惑は更に深まる。

  伝わった感触は、冷たく、身を切るような温度の水。潮の臭いが強烈な海の水だ、人工

 的に温度調節されたプールの水ではない。

  人気のない海岸。夏でも海水浴客が訪れる事はないであろうそこは、瀬戸内海に面した

 崖の下にできた、小さな空間だった。

  地元でごく一握りの人間しか訪れない、寂れた場所。冬になると風の影響をもろに受け、

 寒さが酷くなるために更に人気が無くなってしまう。

  夏も冬も人がいない、自然の音だけが静かに響く。

  そこは、少年のお気に入りだった。街の近くにあって人の来ないここは、誰にも邪魔さ

 れず落ち着ける少年の聖域。偶然見つけた場所だった。

  気紛れにここを訪れて……まさかそこでそんなものを見るとは思わなかった。

  波間に浮かぶ、白い人影。

 「泳いでる……ってか?」

  確認するように呟いた声は、少年以外に届く事はなかった。

  とても、正気の沙汰とは思えない。少し触れただけだが水は凍るように冷たかった。寒

 中水泳を行うにしても条件があまりに悪すぎる。

  びゅうびゅうと吹き付ける風は、かなり強い。それに合わせて波もかなり強かった、高

 く波が上がるたびに、星明かりに照らされた人影が見える。

  少し距離があるので確かな事は解らないが、どうやら女性のようだ。

 「……人魚……?」

  少年の頭に、ある単語が浮かぶ。

  そんな幻想的な言葉を抱かせてしまうほどに、目の前の光景は幽玄で、現実離れしてい

 た。

  満天の星々が祝福する中、冷たい海で舞を踊るように泳ぐ少女。

  少女が動くたびに風で生じたのとは違う波が生まれ、小さく大きな海を掻き分ける。

  と、不意に姿がかき消える、潜ったのだ。一瞬溺れたのかと思い動揺するが、少しして

 また少女は波間に姿を現した。

  水飛沫が勢いよく飛び出た少女の周りで煌めく。まるで今夜空に浮かぶ星がまるで地上

 に降りてきたような美しさだった。

   

  いつの間にか、少年はそれに見とれていた。

  瞬きもせず、ただ無心に少女を凝視する。

  目を離した隙に少女が消えてしまいそうで。一時も目が離せなかった。酷く、現実感が

 薄い。

 

  そうして、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

  

  少年が見守る中で、少女はゆっくりと少年の立つ浜に姿を現した。

  歳は少年よりも少し上だろうか、少女から大人に変わる微妙な頃、ショートカットに大

 きな瞳が印象的だった。それだけを見れば子供のように思えるかも知れないが、彼女の纏

 う雰囲気が、単純な断定を避けさせる。

  それは一種のカリスマ、神秘性と言ってもいいかも知れない。神社の巫女のように神聖

 なものに仕えると言うのではなく、少し自分とは違う感性を備えていると言った感じだ。

  少女の計り知れない部分を、少年は単なる奇人とは決めつけなかったのだ。

 (そりゃそうだろーよ……)

  心の中だけで呟く。真冬の夜の海で寒中水泳に興じる、言葉だけならただの阿呆と思う

 だろうが、実際にあの光景を見たら、そんなふうには考えられない。

  少女と、少年の視線が一本の線を結ぶ。

 

 「やぁ、こんばんは」

 「……とりあえず、こんばんはって言っとくか」

  それが少女――七瀬優と、少年――樋口悠の最初に交わした言葉になった。

 

 

 「ほらよ」

  十分ほど距離のあるコンビニで買ったホットコーヒーを、投げ捨てるように渡す。空中

 で放物線を描いたそれは、すっぽりと優の手に納まった。

  ろくに目標も見ずに投げたにしては、上出来だと悠は思った。

  まともに、彼女の姿が見れない。横目でちらちらと窺う。

  なぜなら彼女は全裸で――その程良い大きさの美乳から、くびれた腰、余分な肉の一切

 がなく、かといって少女らしい柔らかさを忘れない大腿まで、全てを晒していたからだ。

  辛うじて少年のロングコートが優を守っていたが、それとて背中に羽織られただけで、

 身を隠す役には立っていない。むしろ中途半端に体育座りのような体勢をとっているせい

 で、影になった肝心の部分にどうしても目が行ってしまう。

  つうと、彼女の体を水滴が伝う。胸の間を伝い下に流れ落ちる、その先には少女のもっ

 とも大事な部分があるはずだ。

  もっと興奮してもいいはずなのに、何故かそれを悠は感じなかった。それは優があまり

 にナチュラルなため、いやらしさとかそういうものを通り越していたためかも知れない。

 「ありがと……、少し、熱いね」

 「そりゃな、今のあんたなら何でも熱く感じるだろうよ」

 「フッ……確かにね」

 「ま、買いたてだから、まだ冷めてねーのも事実なんだが」

  ぶっきらぼうな悠の台詞。彼はまだ少年の頃を抜けていないくらいの歳だ。中学三年、

 といった所だろう。今時髪も染めず、ピアスなどの装飾もしていないが、少し悪ぶってい

 るような印象を受ける。

 「キミのは……冷たいんだね」

 「あ?」

  一瞬、何の事か解らなかったが、すぐに何を言っているか気付いた。

  悠の飲んでいるコーヒー、優とは違う銘柄のそれは、全く熱を持ってない。

 「……ああ、猫舌なんだ」

 「ふうん……寒くない?」

 「寒いけどな、下手に熱いもん飲むよりはい−んだ。それに寒い時にゃ冷たいヤツの方が、

 飲んでて気持ちががいい」

 「へぇ、私も試してみたいな……それ、一口くれる?」

 「やめとけ、幾らなんでも今あんたがこれ飲んだら風邪引くぞ」

  それを聞いて優がくすっと笑う。

 「気を遣ってくれてるんだね」

 「……別に、誰でもこれぐらいはするだろ」

  少し顔を赤らめる。反射的に止めてしまったが、少し後悔した。そのままだったら必然

 的に間接キスになっていたからだ。

 (って……何考えてんだ、オレは……)

  埒もない考えだと思う、相手は名前も知らない行きずりの相手というのに。

 「優」

 「……ん?」

 「七瀬優、私の名前だよ」

 「そ、そーか」

  まるで心を読まれたかのようなタイミングに驚く。慌てて名乗り返そうとして、ふと、

 ある事に気付いた。

 「……同じなんだな」

 「何が?」

 「名前、オレも悠なんだよ。樋口悠」

 「そうなんだ、なんて字?」

 「面倒な字だぜ、確か……悠久の悠、だったか」

 「いい名前だね……私のは優しいの優だよ」

  彼女に似合った名前だ、と悠は思った。

 「そっちも、いい名前だ」

 「ありがとう。フッ……しかし、奇妙な縁だね」

 「……だな」

  偶然知り合った二人、しかもありきたりの出会いではなかった。およそ現実離れした邂

 逅、こうして二人座っている今ですら、現実に起こっている事だという実感がない。

  しかも二人とも字は違えど、同じ名前。

  運命、と言う言葉が悠は嫌いだ。だがそんな風に思えてしまっても無理もない。乏しい

 語彙の中から、適切な言葉を探す。

 「印象的な、出会いだ」

 「本当に」

  二人、笑い合う。

  そして沈黙が降りた。二人とも何も喋らず、夜の海を眺める。灯りがないため黒く見え

 る水が、波打ち際で白い泡となる。無秩序なようでいて実は結構規則的なその動きを、漠

 然と見つめ続ける。

  ぶるっと優が震えた、さすがに寒いのだろう。当然だ、水に濡れたままでいれば夏でも

 体温が奪われる。しかも今は冬真っ盛り、水に濡れたままほぼ全裸でいれば、凍死しても

 不思議ではない。

 「ほら」

  それだけ言って二枚目の服を渡す。上着の下に来ていたフリースの服だ、これで悠はT

 シャツ一枚という姿になったが、それでも優よりはマシだ。

 「ありがと」

  礼は言ったが優はそれを着ようとはせず、体の前に被せただけに留める。

 「本当に風邪引くぞ」

  悠の声には少しだけ彼女を心配する色が混じっていた。

 「そうだね、けど今更心配する事かな? 風邪引くのが嫌なら、初めから泳いでないと思

 うけど」

 「そーだろーけどな、さすがに目の前で風邪引かれちゃ寝覚めが悪い」

 「……優しいんだね、キミは」

 「初耳だな、ンな事言われるのは」

  また、少しの沈黙。

 「……聞かないんだね。どうしてああいう事してたのか。気にならない?」

 「ならないわけないだろ。けど聞いていい事かどうか、判断がつかねーんだ」

  くすりと優が笑う。そんな顔をすると、彼女の子供っぽさが際だつ。

 「実はね……あそこから飛び込んでみたんだ」

  指で、少し離れた所にある岬を指さす。

  その先に視線をやり、悠は呆れたような目を優に向けた。

 「気は確かか?」

 「……どうだろう?」

 「何メートルあると思ってるんだ? 下手すりゃそのまま水死体だぞ」

  実はその岬はごく一部では自殺の名所と呼ばれてたりもするのだが、二人ともそれは知

 らないようだ。

 「泳ぐのは嫌いじゃないから」

 「泳ぐとゆーよりは自殺志願に見えるのは気のせいか」

 「冬の海って夏とはまた違った趣があるからね。キミも試してみる?」

 「あえて否定はしねーが、試すのはやめとく。オレは寝込みたくないんでね。……にして

 も時と場所を考えろ、それと格好もな、せめて水着ぐらい着とけ」

  さっきから気になっている事を、まくし立てるように言う。Tシャツ一枚でもあまり寒

 さを感じないのは、確実に今裸で隣りに座っている優のせいだ

 「恥ずかしいの?」

 「……見りゃわかるだろーが。お前こそもう少し恥ずかしがったらどうだ?」

  顔の赤さはますます鮮明さを増す。

 「フッ……それこそ今更だよ。だって悠は私が泳いでる所全部見てたわけだしね」

 「そりゃそうなんだが……」

  答えに窮してしまう悠。

  実際問題として、既に彼は優の全てを見ていると言っても過言ではない。水から上がる

 際にその隅々を目に焼き付けてしまったからだ。

  さっきから優の方を向かないのは、元気になってしまった分身を見られたくないためで

 もある。

 「結構、紳士的なんだね、キミは。見られてると解った時は、どうなるか心配したけど」

  そんな台詞を平然と吐く。しかしからかうような表情でそんな事を言われては、身の危

 険を想像していたなど信用できる筈もない。

 「嘘つけ」

 「本当だよ」

 「とてもそーは見えねぇぞ……たく、オレもオレだ、何で間近に裸の女がいるのに、何も

 しよーとしないんだか」

 「したいの?」

  挑発するように、足を組み替える。意図してるのかいないのか、翳った部分が見えそう

 で見えない。

  妖艶さと子供っぽさが同居した、非常に魅力的な誘惑だった。

  だが、悠はそっぽを向いたまま。

 

 「やめとけよ、あんたはそんな女にゃ見えねー。そんな事してると恋人に悪いぞ、とっと

 と服着ろ。話し相手でよけりゃ幾らでもなってやるから」

 

  帰ってきたのは大人びた返答だった。勢いに任せて暴走しがちなこの年齢にはそぐわな

 い落ち着き。優が独特の感性を備えているように、悠もまた何かを抱えているのかもだろ

 うか。  

 

 「恋人……か、そうだね、いたらいいんだけど……」

  

  それに対する優の返答は酷く弱々しいものだった。空気に溶けてしまうように、小さく、

 儚い。遠く、もう戻らないものに思いを馳せるような、声。

 

 「……どうした?」

 「……少し感傷に浸っただけ、なんでもないよ」

  そう言いながら優は立ち上がり、羽織っていた服を悠へと投げ渡す。

 「帰るのか?」

 「今日の所はね。年下のキミに柄でもない説教をさせた事だし、素直に帰るよ」

 「送らないで大丈夫か? 着替えは?」

 「そこの岩陰に隠してあるから大丈夫。それにこの辺りは私の行動範囲だから、心配はい

 らないよ」

  背中越しに悠は納得の表情を浮かべる。

 「ああ、それでこの場所知ってたのか。道理で……なぁ、また、会えるか?」

  移動しようとしていた優の足が止まった。

  首だけ振り返り、答える。

 「縁があれば、ね」

 「縁ねぇ……あるのやらないのやら」

  その言葉を最後に二人は別れた。

  寒い夜。冬の寒空の下で起こった奇妙な邂逅は、こうして終わりを告げた。

 

 

  それからしばらく時間は経過する。

  二人、悠と優はそれからも逢瀬を続けていた。

  優が最後に言った言葉ではないが、奇妙な縁があったようで、二人はあの浜辺で何度か

 話をした。

  優は今までにしてきた旅の話を。

  悠はつまらないと言いつつ、通っている学校の話を。

  ウマがあったのだろう、二人の距離は急速に縮んでいくように思えた。

  そして、クリスマスを目前に迎えたある日のこと。   

  

 

  キーンコーンカーンコーン。

  何年も聞き飽きたチャイムが鳴り、その日の授業は終わりを告げた。

  既に期末試験も終わり、冬休みの準備段階のような今は、昼過ぎに学校は終わる。とり

 あえず休み前の最大の懸念をきりぬけた生徒達の顔は、一様に明るい。

  耳を傾けるとクリスマスをどうやって過ごすとか、冬休みに旅行に行くとか言った話が

 漏れ聞こえる。

  退屈な授業から解放されるこの時期は誰でも心が沸き立つ。

  だが、ある一角だけその喧噪とは無縁な場所があった。

  窓際で机に肘をついたまま、何をするでもなくぼーっとしている少年――悠。

  彼の周りには全くと言っていいほど人がいなかった。まるで誰もそこに近寄ろうとしな

 いかのように。

  やがて時間が経ち、一人、二人と教室から人が去っていく。それでも悠は誰とも話そう

 とせず、クラスメートも悠に話しかける者はいない。

  結局、クラスから悠以外の人間がいなくなるまで、悠は一言も喋らなかった。

 「……さて、帰るか」

  そしてようやく口を開いたかと思うと――鞄を抱えて教室を後にした。

 

 

  悠は、転校生だ。それもこの広島県に越してきてからまだ日が浅い。

  彼にとっては初めての転校で、新しい土地にどうやってとけ込めばいいかまだよく解っ

 ていない。

  加えて生来のぶっきらぼうな性格と、転校してすぐに大きな喧嘩を引き起こしてしまっ

 た事もあり、完全にクラスからは浮いてしまっていた。

  今、悠に友人と呼べるクラスメートはいない。

  学校では誰とも話さずに一日を終える事もしばしばだ。

  そんな悠が初めて得た友人――もう一人の優。

  初めて、自分を受け入れてくれた存在。

  無意識のうちに悠は優との関係を特別なものと思うようになっていた。

 

 

 「……お?」

  それを見かけたのは全くの偶然だった。

  毎週買っている雑誌を買いに、行き付けの本屋へよった帰りの事。

  ショッピング街の反対側にもう見慣れてしまった顔を見つけた。

  少し暗めの赤いコートに白っぽい色のマフラーを巻いた女性――七瀬優。

 「珍しい事もあるもんだな……」

  素直に驚く。この辺りに住んでいるとは聞いていたが、あの浜辺以外で互いを確認した

 のは初めての事だった。悠も優も自分の正確な住所までは教えていない。

 「少し、からかってやるか……」

  珍しく悪戯心を出して、悠は反対側の通りへ足を向けた。向こうはまだ自分に気がつい

 ていない。突然現れて驚かせてやるのも悪くないだろう。

  少し距離を置いて人混みに紛れ、彼女を尾行する体勢を整える。さぁいつ出ていくか、

 思考がそこまで行った所で、悠は弾かれたように足を止めた。

  優が誰かと一緒にいるのが解ったからである。

  勿論彼女にも友人はいるだろう、それだけなら驚きはしない。悠が足を止めたのはその

 相手が男だったからだ。

  しかも、相当仲がよさそうな雰囲気が、離れたここからでも伺える。

  会話の内容は聞こえないが、傍らにいる背の高い青年が何かを話すたびに、悠は笑顔で

 それに答えている。

  恋人、と言う単語が反射的に頭に浮かんだ。  

 

 『恋人……か、そうだね、いたらいいんだけど……』

 

  いつか交わした言葉が頭に浮かぶ。

 「……なんだ、いるんじゃねぇか、恋人」

  呟いた言葉は確認のためか、自らの動揺を押し殺すためか。

  尾行などと言う無粋な事は止めるべきだ、今の優に話かけても、彼女が迷惑するだけだ

 ろう。それぐらいの事は年若い悠にも解る。

  別に優は悠の恋人であるわけではない、彼女が誰と付き合おうと自由だ。そもそもそう

 いった関係ではない――そう、理性では理解している。

  感情は、また別物だった。

  裏切られたとは思わない、だが心に穴が空いたような寂寥感は消えない。街を流れる冬

 の風が一際冷たさを増して悠の側を駆け抜けていくようだ。

  唯一の友人として、優を認め始めていた矢先だけにそれは大きい。自分にとっては大切

 な関係であっても、彼女にとってはただの友人、なのだろう。

  ドライアイスのように容赦なく冷たい現実を、まざまざと見せつけられた気がした。

  悠が固まっている間に、二人の距離はどんどん離れていく。

  まるで今の二人の関係を象徴しているかのように。

 「……っ!」

  小さく舌打ちし、理性の制止を振り切って彼女の後を追う。気付かれないように、かな

 り距離をおいて、彼女だけを見る。周囲に気を配る余裕など無い、何度も人にぶつかるそ

 の度に怒りの声が上がるが、今の悠はそんなもの完全に意識の範疇外だ。

  ただ、優だけを追い続ける。

 

 

  だが――追い続け、一体何をしようと言うのだろうか?

 

 

  夜の帳が辺りを包む。クリスマス色にデコレーションされたイルミネーションが、道行

 く人に光を投げかける。まるで夜にこそ聖夜の本質はあるといいたげな装飾は、ただでさ

 え明るいショッピング街をまるで昼のように照らしている。

  まだ、追跡は続いていた。

  あれからいろんな場所を巡った。典型的なデートコースを二人は歩んでいた、そしてそ

 れを追う悠も。

 (……何してるんだかな、俺……)

  自己嫌悪の念が際限なく浮かび上がってくる、それでも歩みを止める事が出来ない。無

 益どころか有害な事だと解っていても、足は決して歩みを止めようとしなかい。

  何度か優が一人だけになるチャンスはあった。だが話しかけようとしてもどう説明した

 いいのか解らず、実行に移す事は出来なかった。

  そして今、二人は向かう先で何をするか――悠にも容易に想像がつく。

  この先にあるのは繁華街。それも飲み屋やカラオケボックス、賭ゲームをさせる店など、

 その手の店が集まった夜の街。

  そこには当然大量のホテルも存在する。ホテルの名を借りた、宿泊以外の目的を果たす

 ためにある場所が。

 「くそっ……」

  苛立ちが声に表れる。このまま指をくわえて見ているだけでしかないのか、やりきれな

 い感情が悠を包む。

  目を閉じれば優の裸身は記憶野にしっかりと焼きついている。美しい、月から零れた一

 滴のような体だった。

  それを今夜他の男が抱くかと思うと、激しい怒りが沸く。

 (……ってアホか俺、何勝手に嫉妬してやがる……! お前は、何様のつもりだ……!!)

  そう、それはまさに嫉妬と言うべき感情だった。

  こんな形でなければ、受け入れれたのかもしれない。今日の昼彼女を見かけるまで、大

 事な友人であっても、恋の対象ではなかったのだ。

  優自身から男を紹介されたなら、素直に「おめでとう」と言えただろう。

  しかし、全く心の準備なしに偶然見かけてしまった事が、悠のの奥底に眠っている独占

 欲に火をつけた。

  優は、俺のモノだ。

  優の側にいるのは、俺だけでいい。

  優は、誰にも渡さない――。

  そんな感情が打ち消しては消え、打ち消しては現れる。

  悪循環の無限連鎖。断ち切る事の出来ない狂おしい思いが悠を包む。

 (やめろ……やめろっ!)

  自分の心に向かって必死で叫ぶ。自ら嵌めてしまった鎖にぎりぎりと締め上げられ、心

 が苦しい。

  悠の理性は大したものだと言うべきだろう。歳不相応に発達した理性は冷静に自分を分

 析していた。この場合優やその隣にいる男を恨むのは筋違いだと理解している。

  しかし、それに気付いてしまった事が彼の不幸。

  理性とは逆に、感情はまだ子供の部分を多分に残していた。怒る事、悲しむ事、喜ぶ事、

 全て正直に生の思いをぶつけようとする心が。

  いや、子供じみた感情を抑えるために悠の理性は成長を余儀なくされてきたのだろう。

  理性も感情も、心を構成する一素材。

  心と心のアンバランスが彼を責め苛む。

  いっそ、感情のままに爆発してしまえたら、どんなに楽だろう。悠の歳であればそうす

 る事が当然のはずだ。

  だがそれを理性が押しとどめ――その度に心はすり減っていく。確実に、摩耗していく。

 

 

 「……あ? ……しまった、見失ったか……」

  気がつけば、二人は視界から消えていた。

  時間にしてみれば数十秒に満たない葛藤、だがこの人混みの中でその時間のロスはかな

 りの痛手だ。週末なので人通りは多く、少し目を離せばすぐに見失ってしまう。

  優を見失って――悠は実はほっとしていた。

  あのままであれば何をしたか自分でも想像がつかない。しかしいい方向に話が進むとは

 つゆほども思わない。

  数度の出会いで、ある程度優については理解している。

  ひどく不思議な魂の形をした少女だと思った。既成の概念に囚われず、興味をもったら

 子供のように一直線。型に嵌められる事を嫌い、自由に飛翔する事を望む。

  そんな彼女にあんな独占欲をぶつけたら、築いてきた友人関係すら水泡に帰してしまう

 だろう。

 「まぁ……これで、よかったんだよな」

  未練はある、だがこれ以上はどうしようもない。この人混みから一度見失った相手を探

 すのは無理だ。

 「ま、それでもちょっとまわってみるか」

  心に折り合いをつけるために、悠はもう一度歩き出した。

 

 

  それは、幸運の産物だったのだろうか。

  それともトリックスターの神が起こした悪意ある偶然だったのだろうか。

  悠がある路地を曲がった時だった。

 「あちゃ……!」

  そこには優と、あの青年がいた。ここは裏道で、殆ど人が来る事がない。二人がこれか

 ら何をするかは明白だった。

 「たく……ついてねぇ……!」

  慌てて路地の影に身を隠し、目をつむる。優の乱れた姿など見たくない。そのまま強く

 両手で耳をふさぐ。

 (このままなんとかやりすごせば……)

  そうして、外界からの情報をシャットダウンして少したった時だった。

 

 「はっ! コイツはいい拾いモンだぜ。ちょっと声かけただけでここまでついてくるたぁ

 な! よっぽどの好きモンかでなけりゃただの馬鹿か!」

 

 (……何?)

  下卑た声、歪んだ性根を隠し消れない声が辺りを震わせた。一応周囲に配慮してか口調

 は強いものの声量自体は抑えている。しかしその事がかえって男の強烈な興奮を現してい

 るように思えた。

  どうしてそれが聞こえたのか――まるで青年の狂熱が悠に届いたかのように、その言葉

 ははっきりと耳朶を打つ。

  少しだけ顔を出し、奧の様子を窺う。

 「優……!」

  思わず、低く呻いた。

  それは、ひどいものだった。

  優のコートはずたずたに切り裂かれ、内に着ていたセーターも同じ運命を辿っている。

 もはやどちらも服としての機能は喪失したと言っていいだろう。その下からは白い下着に

 覆われた双丘が垣間見えた。程良い大きさの美乳が冷たい風に晒される。

  下はすでにはぎ取られ、ぼろきれのようになったスカートの残骸が近くに転がっている。

 ニーソックスと薄いショーツが辛うじて身を守っている状態だ。

  そして、目を血走らせてナイフを優に突きつけているのはあの青年――今や完璧に品性

 をかなぐり捨て、獣欲を剥き出しにしているのがありありと解る。

  優はビルの壁を背に立っており、逃げ場は――ない

 

 

 「てめぇっ!!」

  反射的に、血が上った。後先を考えることすらせずそのまま乱入する。

 「あんだっ! テメェはっ!!」

 「優になにしやがるこのゲスがっ!!」

  いい所で邪魔された男も、怒り狂いながら悠を迎撃する。銀色の刃を輝かせる刃物が目

 に映った、が。

  今の悠には青年がナイフを持っている事など眼中にない。

  怒りにまかせて、正面から殴りかかった。

  喧嘩は、苦手ではない。理性的な計算など働かない状況でも、体はそれなりに動いてく

 れた。

  まずは左の上段突き、挨拶代わりの一撃を大きく振りかぶる。咄嗟に青年はナイフを前

 に出して体を庇う。

  ナイフをみせれば大抵の相手はそれだけで怯む。それを期待しての事だろう、だがこの

 場合は相手が悪かった。

  左拳とナイフは交わることなく空をきる。

  最初の一撃は牽制。

  もとより、出会い頭の一撃がそうそう有効になるはずがない。だからこれは初めから注

 意をそちらに向けるためのもの。せいぜい派手に見せてやればいい。

  ものの見事に青年はそちらに気をとられた。

 「おらぁっ!!」

  掛け声と共に左足を一歩踏みだし、半身に右足に弧を描かせる。

  完全に脇が空いた状態の青年は、ガードする暇すらない。

  見事な中段蹴りが鞭のようにしなり無防備な脇腹にめり込む。

 「へぐっ!?」

 「まだだっ! こんなモンですますかよっ!」

  悶絶する青年に、右の上段突きを顔めがけて放つ。迫り来る拳に怯えた青年は必死で左

 腕をかざし防ごうとする。

  ダメージで少し膝が崩れていたのが幸いしたのだろう。青年は運良く腕で払うような形

 で攻撃をやり過ごした。

 「うおらあっ!」

  今度は青年の番だった、脇腹の痛みを怒りに変えて右腕のナイフを突き出す。上段をか

 わした時に、悠の懐に入るような形になっていた。

  狙うは腹から胸、どこに刺しても充分な効果が期待できる。

  復讐の予感に燃えて青年は思わず舌なめずりをした。

  それがどういう事をもたらすか、この時点で彼にそこまで配慮する理性は残っていない。

 完全に殺すつもりで全力を注ぐ。

 「死にくされっ!」

 「テメェがなっ!」

  無防備な悠の腹を深々と抉るかに見えたナイフ――しかしそれは両者の間で静止してい

 た。

  青年が止めたのではない。

  止めたのは悠だ。自らの左手を盾代わりに、正面から刃を受け止めている。

  開いた手の平は深々と抉られ、血に染まった刃はその切っ先を手の裏から覗かせていた。

  完全に、貫通している。

  ぽたりと血の雫が路地のコンクリを濡らした。流れ出た赤い川は悠の腕を伝い、まるで

 装飾のように彩る。

 「へへ……どうだ! いてぇだろうがよ!」

 「ああ、痛いな……だから倍返しだ」

  結果的に、これで悠はナイフを封じる事に成功した。煌々と怒りの色に着色された瞳で

 睨み付けながら、宣言する。

 「とことんまで、ブチのめしてやるっ!!」

 

  

  十分後。

  青年はさんざんに叩きのめされ、這い蹲るようにして逃げ出した。

  悠は、追わなかった。あんな奴などどうでもいい、それよりも彼には優先する事があっ

 た。

  荒い息をつきながら優に向き直る。

 「……怪我は?」

 「ないよ、どちらかと言えばそれはキミの体のほうだと思うけど」

  心配そうな声音だった。

  場違いなほどに。

  間違ってもあわやレイプされそうになった少女のものではない。

  まるで、何事もなかったかのように。優は言葉を紡ぐ。

 「病院……付き添おうか?」

 「……いい」

 

  服をズタズタにされ、ナイフを突きつけられて、血走った目で睨み付けながら荒い男の

 息を間近で嗅いで。

  

 ――それでも、優の声に恐怖の残滓はなく、悠を心配する感情しか見えない――

 

  明らかに――異常だった。

  恐怖を抑えつつ、無理に笑みを作るというのなら、解る。助けてくれた友人を心配させ

 ないために気丈に振る舞うと言うのはない事ではない。

  しかしこれはあまりに質が違いすぎた。

  風が路地を吹き抜ける。

  髪を揺らし、辺りのものを空へ巻き上げる。既に用をなさなくなったスカートの残骸が

 それを受け飛び去る。

  焼け付くような左手の痛みを抑え、悠は尋ねた。

 「一つ……聞いてもいいか?」

 「……うん」

 

 「どうして――抵抗しない?」

 

  考えてみれば最初にあった時から、違和感はあった。

  悠に優を害する意志がなかったとしても、初めてあった異性に裸を見られ、ああも和や

 かに話せるものだろうか?

  悲鳴を上げ、騒ぎ、そのまま逃げ出すのが普通ではないのだろうか。

  例え優がどこか違った感性を秘めているとしても、そこまで無頓着になれるのか、と思

 う。

  あの時は雰囲気が後押しをして、そういうこともあるだろう、と納得していたのだが。

  今回、青年に対しても全くと言っていいほど拒絶の意志を見せなかった。

  あのままであれば、最悪の状況になっていただろう。

 「………………」

  優は無言で答えず、はだけた裸身を隠そうともしない。

  ただ、瞳だけが。

  哀しそうに揺れる瞳が心の内を雄弁に物語っているようだった。

  後悔と、やりきれなさと、自己嫌悪と、様々なものがない交ぜにり、揺らめいている。

 

 「御免……今は、言えないよ……今晩、岬の灯台に来てくれる?」

 

  ようやく、それだけの言葉を口にする。

 「……解った」

  悠も、整理する暇が欲しかったのだろう、あっさりと承知する。場所は前に優から聞い

 ていた。思い出の場所だと紹介された、あの場所の事だろう。

 「コイツ着ていけ」

  そのまま悠は自分の来ていたロングコートを放る、それを受け取ったか見向きもせずに、

 踵を返した。

  そのまま無言で歩き出す。

  去り際、まるで涙のように、血の雫がしたたった。

    

 

  星瞬く夜。

  オリオン座がまるで地上を監視するように天空から睥睨していた。

  白い浜にそびえる古い灯台。

  その上に立つ二人を見つめるかのように。

 

 「立ち入り禁止って、書いてなかった?」

 「さそっといて言う台詞じゃねぇな」

 「無視したの?」

 「当然」

  展望スペースで、二人は言葉を交わす。

 「フッ……キミが二人目だよ」

 「何がだ?」

 「この灯台に昇った人が、私と一緒に」

 「そーか」

  面白くもなさそうに、悠は肩を竦めた。そのまま手すりに体を預ける。

 「しかし、高校生だとは思わなかった、もうちょっと年上だと思ったんだがな」

  悠はいつもと同じ服装だが、今日の優の服装は驚いた事に制服だった。どこかの高校の

 ものだろう。

  似合ってはいるのだが、どこかちぐはぐな印象を受ける。

 「それは当たってる。これ昔の制服だから、ね……」

 「なるほどな……で、本題に移ろうか」

 「そうだね……その前に、ちょっとそこの手すりを見てくれる?」

 「ん?」

  体を後ろに向け、野ざらしで錆び付いた、少し頼りない手すりを見つめる。

  そこには何かが書かれいた。いや、書かれているのではなく彫られているのだ、おそら

 く釘か何かを使ったのだろう。

  星明かりだけだったが、冬の透き通るように綺麗な空気は、幾億光年を経て届く光を充

 分に伝えた。少し頼りないがはっきりと読める。

 

 ゴメン……ユウ……サヨナラ……

 

 「……これは?」

 「別れの挨拶、私がここであった“幻の転校生”クンのね……」

  そう言うと、少しずつ優は話し始めた。

   

 

  偶然出会った少年。

  彼は優の独特の感性を否定しなかった。

  むせかえるように熱い、夏の夜空の下で出会った二人。

  どこか優しい雰囲気を持つ少年に、優は惹かれていった。

  だが、運命というのは意外に残酷で。

  少年は、優の元を去らなければならなかった。

 

 「そいつの最後の言葉が、これか」

 「そう、でもまた会うことはできたんだ」

 

  遠い目をする優。

  それは過ぎ去った時間を懐かしむようだった。

  瞬く夜空の星から落ちた宝石のように、輝いていた日々。

 

  それで、何となく悠にも解った。

  優はそいつのことが好きでいたんだろう、と。そしてそいうはもう、この世にはいない

 んだろう、と。

 

 「私の時は、あの頃で止まったまま。だからどうでもいい、何されても止まった体は何も

 感じないから」

  それが何も抵抗しなかった理由なのだろう。心を過去に置いた彼女にとって今がどうで

 あろうと、構いはしない。

 「最初にあった時……アレもただ泳いでたんじゃなかった訳か」

 「フッ……鋭いね、私が飛びこんだ岬、あそこ実は自殺の名所だったんだ」

 「死ぬつもりだったのか?」

  その質問に優は少しだけ考えるような仕草をした。

 「どうかな……死んでもいいとは思ったのは確かだけど、死ぬつもりなら後のことなんか

 考えないしね、気紛れ、かな」

 「なる……」

  悠は、彼女を見ていられなくて目を逸らした。

  何かを言いたかった。

  だが言葉にならない。

  今ほど自分が未熟であることを呪ったことはなかった。

  傷ついた左腕は、治療したとはいえまだ痛い。だがそれ以上に今の優は痛々しかった。

  優は、救いを求めている。

  最愛の少年、自分をもっともよく理解し、肯定してくれたパートナーを失い、そこから

 這い出せないでいる。

  何も感じない、と彼女は言った。

  それは違う、と悠は思う。あの路地裏で見た彼女の瞳、それは紛れもなく意志のあるも

 のだった。

  自分が馬鹿なことをしていると自覚し、それから抜け出そうと足掻いている。

  だが、抜け出すための最後の一歩――愛情なり憎悪などの爆発的な感情を持てないため

 に、囚われたままなのだ。

  自分自身で嵌めた、赤い鎖に囚われて。

 

 「じゃぁ、俺と友人になったのも、気紛れか?」

 「それは……少し違う。すこし似てたからね“幻の転校生”クンと」

  でも、と優は言葉を続けた。

 

 「キミは……あの少年じゃない、似てるけど彼じゃない」

 

  悠は、無言だった。

 (どうすれば……いい?)

  優の言ったとおり、悠はその少年にはなりえない。いや、この世の誰も心の中に残った

 故人と同じ存在に、なれるわけがない。

  だが、このまま放ってはおけなかった。

 

 (多分俺……コイツのことが、好きなんだろうな)

    

  物好きな、と強く思う。

  昔の恋人、しかも既に死んでいる相手をまだ想っている人間。そんな厄介な人間に惚れ

 るなど、愚の骨頂。

  それでも、この想いは止められそうにない。

  多分、あの夜からそうだったのだろう。

  気づかなかっただけで、悠は最初から自分と同じ名前をしたこの少女に惹かれていたのだ。

 (一目惚れ……ってヤツか)

  苦笑する。まさかそんなロマンじみた言葉に、縁があるとは想わなかった。

  しかし、このままでは幾ら悠が努力しても、意味はない。

  まずは優を過去から解放する必要がある。

 

 ――憎しみでも、喜びでも、なんでもいい。まずは彼女を鎖から解き放つ――

 

 (それにゃ……これしかないか)

  心の中で、そっと決意した。人間として最低の行為に、手を染める意志を固める。

 

 「すまねぇな、優……」

 「……え?」

  そっと漏らした言葉に優が反応する。

  次の瞬間。

  悠は悠の肩を掴み、そのまま壁に押しつけていた。

 

  

 「どうしたのっ……!? こんなことしても私は何も……」

 「感じない、ってか?」

  驚く優に悠はくっくっくと喉を鳴らして笑った。

  思わずぞっとする程、それは禍々しく優の耳に響いた。氷塊が背筋を滑り落ちるような

 錯覚が神経を伝う。

 「そうだろうな、あんたの言ったとおり、昼間みたいな連中に何をされても、効果はない

 だろうよ……。だがな、俺ならどうだ?」

  にいっといやらしく唇をつり上げる。少し悪ぶっているだけの年相応の少年――そんな

 表情の名残は微塵もない。

 「俺は、あんたの初恋の奴に似てるんだろ?」

 「……!?」

 「なら、そいつも同じ事を考えてたってわけだよなぁ」

  キッと優は悠を睨み付ける。瞳の奧に炎が燃えた。鋭い、射抜くような視線にも優は動

 じない。

 「転校生クンを……侮辱するのは許さないっ!」

 「おーおー、勇ましいことで」

  小馬鹿にしたように笑う。

 「でもな、男ってのは皆そうなんだよ。女見たら“そういうこと”しか考えない。違いは

 ソフトにやるか、ハードにやるかぐらいだな」

 「よくそんな事が……!」

 「いえるさ。だってそいつは俺に似てるんだろう? なら当然考え方も似てるわけだ」

  言い放ち、優の制服に手をかける。

 「本当はもう少し待って、完全に気がこっちを向いてから頂くかと思ったが、やめだ。あ

 んな事聞かされたんじゃ、待つ意味ネェからな」

  そのまま、ありったけの力で布地を引きちぎる。ビリッと言う音がして、制服が縦に、

 裂けた。

 

 「犯してやるよ――優。お前の体も、心もな」

 

 「……キミはっ!!」

  なおも抗弁しようとする優の唇を、強引に悠は自らの唇で塞いだ。

 

 

  いつの間にか、月が昇っていた。

  淡く、優しい光が地上を照らす。

  そんな静かな、穏やかな闇に背を向けるかのように。

  悠は、優を犯していた。

 

 「うぁっっぁ!」

  敏感な場所を摘まれて、優は思わず悲鳴を上げる。

  床に押しつけられ、突っ伏すような格好のまま下半身を持ち上げられている。下着は既

 に無く、薄い翳りもその下に覗く穴も、その後に息づく蕾も、全て空気の元に晒されてい

 た。

  男に見せつけるように広げられた大腿の間、そこに眠る小突起を思い切り摘まれたのだ。

 「いい声でなくねぇ、気持ちいいかい?」

  愉しそうな、悠の声。

 「全然っ……!」

  強気に否定する優。だがその声にはほんの少しだけ動揺があった。

 「そうか、じゃ、何やっても問題ねーな」

 「ちょ……ま……ああっ!」

  悲鳴は途中から喘ぎに変わる。

  悠の手が、敏感な小突起を弾いたのだ。

  二度、三度。

 「くぁっ、あうっつ!」

  その度に甘い声が優の口から漏れた。

  鋭い、突き刺さるような快感が断続的に襲う。まるで調律中の弦を弾くように、悠の手

 が舞った。

 「はっふっ、うぅ!」

  上手く、呼吸ができない。無理な体勢を強要されている上に、下半身からの刺激がまる

 でタイミングを読んだかのように襲いかかるからだ。

  体が紅潮し、熱く熱を持つ。

  元々白い肌の優のこと、余り変化はなかったが、白い肌に走る赤い筋は、ひどく扇情的

 だった。

 「お、濡れてきた」

  いちいち報告し、優に認識させるように言い放つ。

 「そんな……!」

 「疑うか? なら見てみろよ」

  にゅっと指が突き出される。人差し指と中指、二本の間に明らかに汗とは違う粘つく糸

 があった。

 (これが……私の……)

  それを見て優は、傷ついた表情を浮かべた。

  優は旅の途中で色々な知識を手にいれている。その中には、少し顔を赤らめる類の話も

 あった。

  体と心は別物、とはよく言ったもので、心が屈していなくても体が自身を守るために潤

 滑油を分泌するという事も知っている。

  だが、それを見せつけられたくはなかった。知識では納得しても、感情は別だった。

 (転校生クン……)

  思い出が、汚されていく気がする。

  ほんの少しだけ彼と同じ雰囲気を感じた相手、悠に犯されて、感じてしまうことは、ま

 るで優自身がそれを望んでいる、ように思えた。

  恥知らずな背任。

  そう考えてしまう、すると体は敏感に反応した。

 「くぁ……ああっ!」

  ぴちゃぴちゃと、濡れた音が脳髄そのものを犯すように響く。声を抑えようとすれば、

 酸素が足りなくなる。かといって口を開ければ漏れ出るのは聞きたくない嬌声。

  優は、少しずつではあるが、感じ始めていた。自分でも知らずにいた部分を開発されて。

 「いい感じだ」

  ほくそ笑み、悠は優の秘所に顔を近づけた。

 「ひあっ!」

  ざらざらとした感触が小突起に伝わる。人工物ではありえない、複雑な刺激。

 「だめっ……そんな所、きたない……」

  大きく声を上げれば途中で喘ぎに変わってしまう。それを防ぐためにか細い声で制止し

 する。

  だが、そんな事で止まるはずも、無い。

 「きゃうううっ!」

  断続的に襲い来る刺激と、必死で戦う。小突起が弄られ、秘所に舌が延びるたびに体が

 びくんと震えた。

  その動きは本人の意思とは全く別で、男を誘っているように映る。

  そして優自身、その事に気づいていた。

 (こんな……恥ずかしい……)

  羞恥心――それはある意味で快感を煽る絶好のスパイス。『してはいけない』と言う制

 約は逆に意識を集中させ、裏腹に体を燃え上がらせる。

  明らかな快感が、浮上し始めていた。

  秘所を覆う潤滑油は、既に体を守るための最低限度のものではなく、男を誘うための興

 奮材に転化している。

  すでに秘所はしとどに濡れそぼっていた。

  舌が、指が、這い回るたびにその量は増えていく。

 「あっ、あっ、あっ!」

  艶がかった声に悠は満足そうに笑った。

 「そんなにいいのか? 昔の男に似てるヤツに抱かれるってのは」

 「ちが……かん……じてな……」

 「まだ言うか、説得力がねーな」

  からかうような言葉に、優は無言で応える。

  今口を開けば、紡ぎ出される言葉は全て喘ぎ声に変わる、そんな気がしたからだ。

  引きちぎられた服の端に噛みつき、必死で声を堪える。

  だが、それも無駄な抵抗だった。

 「ひぅんっ!」

  入り口をこじ開け、内部に侵入してくる感覚。体の内を弄ばれる感覚は、甘美な麻薬と

 化して優に襲いかかった。下の口がこじ開けられるたびに、上の言葉を発する器官は連動

 して声を上げようとする。

  それを、抑えることが出来ない。

 「あくっ! ああっ!」

  複雑な襞に覆われた中を指が行き来するたびに、新たな快感が沸き上がる。侵入した異

 物は一度として同じ箇所を刺激することなく、内部を蹂躙していく。

 「そろそろいいな」

  充分に中がほぐれたのを見ると、悠はべっとりと愛液に包まれた二本の指を抜いた。

 「はぁ……はぁ……」

  荒く息をつく。ようやく解放され優はべったりと力無く横たわった。

  呼吸に合わせて双丘が上下する。

  浅く、何度も、マラソンを走った後のように酸素をまず取り込む。

  そうして息が落ち着き始めた時。またも大腿を掴まれた。

 「やっ……」

  抵抗しようにも、消耗した体に力が入らない。

 

  そのまま仰向けになるように転がされた。月を背景に悠と視線が重なる。

 (……え?)

  違和感。

  それは月明かりがもたらした偶然かもしれなかった。

 

 「さて、そろそろ本番と行くか」

  

  愉しげな声。

  しかしなら何故こうも彼は沈んだ表情をしているのだろうか。

  声とは裏腹にその顔は痛みを堪えるように、痛ましかった。

  そしてふと思い出す。

  彼の左手は大きく傷ついていたことに。

  そちらを見ると、案の定出血していた。包帯の上からはっきりと解るほどに血が滲み、

 流れ落ちている。

  まるで、涙のように。

  泣いてはならない瞳の変わりに、優を汚す手がだを流すかのように、思えた。

 (ああ……そういう……わけだったんだ……)

  唐突に、優は全てを理解した。

  悠は憎しみの対象となることを選んだのだ。優の怒りをぶつけられ、罵倒され、殺され

 たとしても抗議のしようがない行為をすることによって。

  そうすることによって優に前を向かせるために。

  たとえ、負の感情から来るものだとしても、その活力がいつか優にとってプラスになる

 ことを願って。

  子供っぽい決断と見ることも出来るだろう。

  だが、彼にはこれしかなかったのだ。

  彼は優の中にいる故人には勝てない、だからこういう手段しかなかったのだ。

  誰にも肯定されることのない道を、選んで。

 

 「行くぞ」

  悠は、目を合わせることなく優の中に侵入した。

    

 「あうぅぅぅぅぅぅぅっ!」

  優の中に、楔が打ち込まれる。

  体がばらばらになるような、強烈な刺激が襲った。胎内が一杯に広がり、楔を迎え入れ

 る。包み込むように楔にまとわりつき、双方にとっての快楽を生み出すために、襞が蠢く

 「はひぃっ! ひぃっ、ひんっ、ひああんっ!」

  悠の分身は歳不相応に巨大な器官らしい。出入りを繰り返すたびに体が内からまくれ上

 がり、何もかも持って行かれそうな感覚が奔流の用に襲いかかる。

  頭の奧で何かがスパークし、まともな思考が形成されない。

 「ぁぁぁぁぁぁっ!」

  楔は荒々しく、獣のように優を蹂躙している。技術も何もなしに暴れまくるそれは、縦

 横無尽に動き回った。上部に当たったかと思えば下部、留まることを知らず、貪り尽くす

 ように律動する。

  優の顔が隠しようもない情欲の色に染まる。

  無意識のうちに彼女は悠にあわせるように腰を動かしていた。

  突き、引き、突き、引き。

  突き、引き、突き、引き。

  勢いをつけて、より深く楔を奧まで迎え入れる運動だ。引き抜かれる時の空虚な感覚も、

 次に一杯に体中で感じるための準備段階に過ぎない。

  深く、どこまでも深く。

 「あく、ふぅん、うぁっ!」

  漏れ出る喘ぎをもう抑えることもない。

  そして悠の分身、優に突き立てられた楔が最奥を叩いた時。

 

 「あ、ぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁぁ!!」

 

  体の中に流れる熱い迸りを感じながら。

  悠と優は同時に絶頂を迎えた。

 

 

 

 

 

 「……あれから、四ヶ月、か……」

  悠は自分の――今は自分だけの聖域になったあの浜でぽつりと呟いた。 

  あの後何度も交わりを繰り返し、力つき眠るように倒れた後、目を覚ませば優は姿を消

 していた。

  無理もない、と思う。

  どれだけ卑劣なことをしたか、それは悠自身が一番よく自覚していた。どんな結末を迎

 えようと覚悟している。だが、悠は特に警察に捕まることもなく、現在まで過ごしていた。

 「よ……っと」

  何とはなしに近くにあった小石を海に向かって投げ入れる。

  ぽちゃんと音がして静かな海面に波紋を描いた。

  その手には一枚の紙切れがある。それには『合格通知』と書かれていた。

  優の母校、県立朱之宮高校への招待状。

  ここを選んだ意味は特にない、優があまりここに通っていなかったことも聞いている。

  だが、そこに行けば優の残滓を感じることが出来るかもしれない、そう言う感情が奥底

 にあったことは事実だろう。

 「未練だな……」

  自嘲、あれから何度繰り返したか解らない表情を、もう一度形作る。

  しばらくそんな顔のまま、手持ちぶさたに辺りを見渡した。その時、目の端に何かが映

 る。

 「……ん、なんだ?」

  そちらに目をやると、岩場の上に一本の缶コーヒーがあった。それだけなら単なるゴミ

 であったろう、しかしそれはまだ封がしてあった。

 「飲まないで捨てたのか? もったいねぇな……」

  特に何も考えずに近づき、拾い上げる。

 「ま、飲むつもりはねーけど……お?」

  その下には幾つもの白い線が走っていた。よく見るとそれは文字のように見える。

 「なになに……」

  何気なくそれを読み進め――全てを理解した後、悠は硬直した。

 

 アリガト……ユウ

 

  ナイフか何かで無理矢理書かれた素っ気ないメッセージ。

  だが、その心が悠には手に取るように解った。

 「ここに……さっきまでいたのか……」

  思わず駆け出そうとして――何を思ったか足を止める。

 「いや、まだだな……まだ会っても何を言っていいかわかりゃしない……」

  本音を言うなら今すぐ会いたい。

  けどそれはまだ早い。

  こんな形でなく。

  優が過去を完全に振り切り。

  悠がもっと成長した時。

  その時、もう一度、誰にはばかれることもなく、会えばいい。

 「その時まで……コイツはお預けだな」

  再会記念に二人で同じコーヒー飲むのも、悪くないだろう。

  ここで交わした言葉を思い出す。    

 

 『縁があれば、ね』

 『縁ねぇ……あるのやらないのやら』

 

 「……俺はお前との縁を残せたのか?」

  誰にともなく呟く。

  

  日差しは暖かく、包み込むような柔らかさを持っていた。

  祝福するように潮騒が自然の賛歌を奏でる中。

  悠はいつまでも。

  その場に立ち続けていた。

  春。

  別れと出会いの季節は今から始まる――。

 

 (了)

 


解説

 まずは二周年を迎えるDDDさんに祝福を。

 そして僕のつたないSSを見てくださった皆さんに感謝します。

 正直、この話ここまで長く続くとは思いませんでした。

 気がつけばGaiaseedの四章並みの分量……よく書いた物です(苦笑)

 主人公の悠はかなり練りが甘かったのですが……少しは皆さんの評価をいただけたら嬉し

 いですね。

 

 ちなみにこの話はセンチ1と2の間の話になっています。優が大学に入学した後になりま

 すね。確か2は優が大学二年の筈だし。

 悠がこの後再会できたかどうかは……まぁそれは皆さんのご想像にお任せします(笑)

 

 あ、ちなみに言っておきますが……僕は「樋口悠」でセンチ1も2もプレイしていません。

 彼は完全にこの話用にできたキャラクターです。お願い信じてぷりーず(笑)

 

 ふー、にしてもセンチキャラの中で一番好きな優を書けて満足です。

 これは二周年企画で書いた物なので、他の作家さんがどういうセンチヒロインを書いてく

 れるか――とても楽しみです。

 きっとどれも素晴らしい出来でしょうし

 

 それでは、今回はこの辺で失礼します。

 次回作……年内に一作仕上がるといいですね(激苦笑)

 それでは〜 

 

 (最後に)

 しかし……初めての純愛がこれですか、僕(笑)

 

 2002/7/12

 


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